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February 01, 2009

生きるという事

母方の叔父が1週間前に亡くなった。
以前から心臓弁膜に問題があり、数回の手術を繰り返していたが、今度は大動脈乖離と云う病名で返らぬ人となった。
長く郵政に勤め、それ一筋で来た人だが、光栄な事に2003年秋の叙勲で勲章を授与され、大いに面目を施した人だった。
母のたった1人の姉弟(弟)と云うことで、この叔父には私が小さい頃からとても目をかけてもらって来て、私から見てとても話の分かる「おじき」と云う関係だった。

その昔、私が初めて「電話級アマチュア無線技士」の資格を取った時、叔父は「国家試験に合格するのは大したものだ」と云って、内緒で小遣いをくれたりたし、開局間もない頃、近くに頼りになる大人のハムがいなかったため、アンテナの設営に困っていたら、この叔父が腰にヒモを巻き付けて高いところに上がってくれた事が忘れられない。
何しろこの叔父は、電球の種類さえ分からない全くの電気オンチで、無線なんて想像の外だったし、後にも先にも自ら高いところでアンテナ工事に携わったのは、これが最初で最後だったはずです。
それでも、甥のために未知の屋根に登ってくれたのである。

いつも明るく朗らかで、周りには沢山の友人が揃っていて、子供心にもスゴイ人だなぁ...と思ったものだが、通夜も告別式も、その交友を改めて知る事になった。
式場に入りきらない参列者の数、弔電の数、遺族の1人として目を見張った。

入院1週間目のその日、家族親族の思いをよそに、叔父はすこぶる元気で機嫌も良く、親戚数名の見舞いを受けられる程だった。
公立の専門病院の集中治療室(ICU)に担ぎ込まれてから数日後、私が尋ねた際は喉の渇きを訴えて、意識も遠い様だった。
かろうじて私だと分かったようだが、とうの私はそんな叔父の姿に全く言葉が出ず、ただ叔父の手を握り、溢れる涙を耐えるのが精一杯だった。
全身に打ち込まれた管の数、心電図などの電子機器のセンサー、酸素吸入のマスクに遮られ、叔父の声はあまりに遠くに聞こえるものだったのに、姉(私の母)が訪ねたその日は、叔父は快活に笑い、歯まで自ら磨いたと云うのだ。
姉はその弟の姿に安心し、また明日来るよ、と、姉とその連れ合い(私の父)と3人で手を握りしめながら声をかけたら、叔父も手を振って応えたと云う。
そして、時間的に7階のICUから病院玄関に出た頃だと思われるが、母が病室を離れて5分も経たないうちに叔父の容態が急変し、その後、1時間40分後に静かに息を引き取った。
だから母はこの急変を知らず、家に帰ってから初めて電話連絡でこの事を知る事になる。

私も年を重ねるに従って、幾度となく逝った方のお顔を拝して来たが、この叔父の顔ほど安らかな顔を見た事がなかった。
それは荼毘に付される直前まで変わらず、本当に驚いたのである。
もしも因縁と云うものがあるならば、たった1人の姉と義兄に別れの挨拶を交わして逝った叔父を、私は何か不思議なものを感じてしまうのである。
正しく、明るく生きた彼の人生が、全て良かった、そして幸せだったと誰もにも信じさせるに充分な説得力溢れる見事な最後でした。
社会人として尊敬していた叔父の、万分の一でも近づけるように精進せねばならぬと、改めて思った1週間でした。

おじき、安らかなれ、雲の上にて
合掌

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