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September 28, 2004

アホウドリ Albatross

中部太平洋やハワイ方面でよく見られる鳥ですが、実は本物のアホウドリは非常に数が減っていて、もう絶滅は避けられないのは?と云われています。
KH4(ミッドウェイ)に群棲しているのは、正式にはコアホウドリと呼ばれるもので、アホウドリよりもふた回りほど小型の鳥です。
私は、このコアホウを間近で見てきましたが、本当に不思議で、かつ愛嬌のある鳥です。
我々のよく知っている鳥と違って、飛び立つ時も風の力がなければ飛び立てませんし、着陸する時も、きれいな着地はほとんど出来ません。
前につんのめったり、中には茶栗の瞬間にごろごろと前方回転をしてしまうものも、あちこちで珍しくないのです。
その姿を見ていると、何度も可笑しくて、こちらも笑いころげてしまいます。

着地に失敗したコアホウは、まるで照れ隠しのように、羽を伸ばしたり縮めたりしながら、ぶつぶつつぶやくのです。
まるで「いやぁ~足場が悪くてコケちゃったよ、誰だい穴を掘ったままにしておくヤツは...」って、感じでフラフラ歩いてくるのですから、見ている方も思わず笑い出してしまう始末です。

この一見すると間抜けそうな、鈍重なうごきのせいで、そして非常に柔らかいその羽のために、ただ殴られて殺されるに任せた悲しい歴史が、今この絶滅の危機を招いているのです。
ハムの世界では有名は、ミッドウェイやキューレ島、ウェーク島には、細々と彼らの子孫が生き残っています。

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September 27, 2004

新蕎麦

今年の新蕎麦を食べました。
まだ暑さの余韻が残るので、あまりそんな雰囲気でもない感じですが、それでもやはり大好きな蕎麦の、挽きたての香り高いものは美味さひとしおです。
これからみぞれが混じる頃に、穂高・安曇野や奥信濃の飯山方面が私のホームグラウンドです。

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September 18, 2004

土曜日の職場

大体において、休みの日に仕事を進んでする人はいないでしょうが、それでも良い事がない訳ではない。
誰もいなければ、好きな音楽を聴きながらでも作業は出来るし、第一昼飯だって好きな時に食べれば良いわけだから、勝手気ままなこういう感じも悪くはない。

誰もいない職場で1人仕事をしても、それほど大きく効率が良くなる感じはしないけど、外出の多い私の場合は、こういう時間はどうしても必要になってしまう。
つまりは、出張の準備やたまった書類の整理などである。

外の天気は良さそうだし、3連休の初日で(私は仕事だが)心も軽い。
今日は帰ってから、先日来の懸案になっている、リグのコントロールI/Fを完成させよう。

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September 17, 2004

鮎の押し寿司

いつの間にか、あれほど暑かった夏もどこかに行ってしまったような今頃、こんな話をして申し訳ないけれど、やはり今こそ鮎の押し寿司が思い出されるのである。
私はこれから産卵に向かってくる頃の味が好きです。

東海道新幹線が出来る前、東海道線の特急「つばめ」や各種急行列車に乗った思い出のある方々は、きっと懐かしさを覚える響きであるはずです。
駅弁としては、岐阜や大垣が有名ですが、今でもきっと売られている事でしょうね。

ayu.JPG

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September 11, 2004

あなぐら

暑くてたまらなかった部屋も、やっと少し涼しくなって来ました。
秋の夜長の、私の居場所はここ。


jpg/anagura

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September 08, 2004

旅のつれづれに

大学1年だったか2年だったかの夏休みに、当時はまだ走っていた夜行急行「能登」号に乗って、金沢から輪島を旅した事があります。
この時は高校時代からの親友と出かけたのですが、その間の思い出は何故か記憶の彼方に飛んでしまったのに、反対に忘れられない思い出があります。
それは当時流行りかけていた、大藪春彦の「蘇る金狼」と云う小説に出会った事です。
今はこの手の分野の小説は、どのようなカテゴリーに分類されるのかは分かりませんが、当時はバイオレンスが非常な男のかっこよさを演出したものと云う事で、大きなムーブメントを起こしたほどです。

私は輪島の駅前に近い小さな書店で、帰りの夜行列車の暇つぶしのためにこの本を買いました。
それまで特段興味があった訳ではありませんが、この頃は角川書店が最も元気な頃で、横溝正史や星新一などを一生懸命メジャーに押し上げていたのもこの前後だったと思います。

蘇る金狼....
読み始めたら途端にはまりました。
暗い野望を持ち、目的にためには手段を選ばない主人公が、昼間は一向に目立たないサラリーマンで、鍛えに鍛えた鋼のような体と知能を使ってのし上がって行く様は、まだ若かった私の心を強烈に揺さぶりました。
金沢駅で上り上野行きの夜行列車に乗ってから、本当に一睡もせずにほの暗い客車の中で読みふけりました。
通り過ぎる踏切の音、ガタンガタンと規則正しく響くレールの音にも邪魔される事なく、夜明けの早い夏でありながらも明け切らぬ高崎駅に降り立つまでの8時間ほどを、一気に駆け抜けました。
本から目が離せない。
高崎駅の階段の登り降りさえも、本から目を離させないと云う、私にとって大きな衝撃を受けた本でした。

大藪春彦の書く小説は、文学としては2流かもしれませんが、その構成とストーリー性は、今までの日本大衆文学の流れにはなかったものだと思っています。
その後、松田優作主演で映画化され、イメージが固定されたものの、原作を全く越える事ができなかったのは当然かもしれません。
返って原作を読まない人に、薄っぺらな悪い印象を与えた事のほうが問題かもしれません。

私は、仕事やプライベートで遠くに出かける事が多いから、どこでも必ず読むものを携えて行きます。
しかし、以来この本ほど強烈にのめり込んだ本はありません。
学校を出てから、好きな本しか読まなくなりましたが(当たり前?)、何か強い力で引き込まれるような感じを持ったのは、後にも先にもこの一度だけでした。

夜を走り続ける薄暗い客車の中で、この主人公のような人生を送りたいと考えていたのかもしれません。

 #それが、鋼どころか、今では腹の出た、ただのおっちゃんが、なれの果てであります(笑)

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September 06, 2004

夜鳴きそば

この言葉には、哀愁とも、また前世の記憶(?)とも取れるような、何とも云えない懐かしさがあります。
夜鳴きそばとは、遠い昔、若い父と母が、私のために食べさせてくれた中華そばの事です。

私の育った河内では、夜になるとおじさんが屋台をひきながら、チャルメラを鳴らしてやって来たものです。
寒い冬の夜に、誰もがこたつから出たくない時に、このチャルメラを聞きつけると、私が「そばこうてぇ~」とねだったそうであります。
そうすると、5回のうち1回くらいは、父が「買うてやり」と云って母に買いに行かせたらしいです。
父の月給が3000円の時代に、1杯50円の中華そばは高かったと思いますが、温かい中華そばの味は今でもずっと私の心の中から離れません。
屋台売りではどんぶりを持って行くのが普通で、ナルト模様の中華どんぶりは、40余年が過ぎた今でも、母の食器棚の中にあるのを私は知っています。

透明な鶏ガラスープに、細麺が透けて見え、その上に茹でモヤシとナルト巻き、支那竹と大きなとろっとしたチャーシューが、いかにも美味しそうに食欲をそそります。
温かいおつゆに見え隠れするのは、若き父と母の愛情と、懐かしき昭和30年代の姿であります。
まだ近鉄電車がたんぼの中を走っていた時代。
大阪の空はスモッグに汚れ、公害問題が云われ始めた頃ですが、子供は山に川に駆け回っては、日暮れに母の声を頼りに家路を急いでいた。

それから幾星霜、今では電子機器に囲まれ、その電子機器で仕事をする「未来の」自分が、どこか遠いところの自分の「過去の」姿に、安らぎと安寧を見ている事に気づいてしまいました。

誰もが若く、誰もが優しかったあの頃。
私は繰り返し繰り返し、夢の中でこの風景を見続けて行くのです。

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September 05, 2004

ミッドウェー島

今日、イタリアの某局から、ミッドウェー島への渡航を計画しているが、以前に行った事のあるお前のノウハウが欲しい、と云うメールが来ました。
私は、ミッドウェー島(正確にはミッドウェー環礁と呼ぶべきです)に、2回渡っています。
1回目は2000年の秋、2回目は2001年の春です。
ここは米国魚類野生生物保護局(FWS)の厳しい管理下にあって、絶滅危惧種の生物保護を大きな仕事にしておりますが、国立公園内に一般ツーリストを受け入れる、米国でも珍しい場所でした。
しかし、2002年の初めに、突然FWSから管理を委託されていた会社が、経営上の理由から撤退を表明し、あっと云う間に島への渡航が出来なくなってしまいました。
1997年に誰でもが渡れるようになって、わずか5年弱で再び「遠い島」になってしまった訳です。
ですから、イタリアのハムには、残念な内容を知らせる事になってしまいました。

ミッドウェー島は、太平洋戦争当時、日米が激しく激突し、ミッドウェー沖海戦がその後の戦いを変えたと云われております。
米国にとっては「勝利の島」で、今でも英語で云う「Veteran」と呼ばれる、かつての兵士達の栄光の場所でありますが、しかし日本人にとっては、戦争の趨勢を変えた島として、また多数の船と人員を失った場所として記憶されています。
米国のモニュメントは、島の明るい開けた場所に大きく作られているのに対して、日本人戦没者慰霊碑は、本当に小さく、また云われなければ見落としてしまうような場所に作られています。

この島に、私が再び渡る日が来るでしょうか。
私にとってミッドウェーへの旅は、忘れられない旅のひとつになりました。

ミッドウェーの旅行記は、ここからどうぞ。

2000年版  2001年版  

ミッドウェーの地図や、その他の写真は、ここをクリックして、遥かなるミッドウェーのメニューからご覧下さい。

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September 02, 2004

温泉はゆっくりと

長野県には、私の客先が沢山あります。
かつてインストールに明け暮れていた頃は、ただ風呂に入れて眠れれば良いと、何も考えずに駅前のビジネスホテルに泊まっていたけれど、この10年はなるべく温泉宿に泊まるようにしています。
食事の時間が決まっていれば、いやでもその時間に帰らねばならぬので、インストールも自ずとメリハリが出来て、返って効率が上がったのが、そのきっかけです。
早く一日の仕事を切り上げて、ゆっくりとお湯につかり、素朴だけど美味しい料理を肴に、みんなで一杯やるのは楽しいものです。

諏訪のあたりは、町内にいくつも浴場があって、いつでも天然温泉に入れる地元の方がうらやましい。
私は時間があると、岡谷市や下諏訪町の地元の浴場に立ち寄ります。
下諏訪は、諏訪大社のすぐそばで、児湯(こゆ)と云う名前の浴場です。入場料は\180だったと思います。
源泉に近く、お湯の温度が高いので、真っ赤になってしまいますが、湯冷めしない大変素晴らしいお風呂です。

帯緩め 風を呼び込む 宿浴衣 (田中 ひろあき)

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